世界にはグローバルアジェンダと言われる、世界規模の課題がたくさんある。
世界規模の課題とは、ズバリ、地球が過密化していることだ。
具体的には貧困問題、人口問題、生態系・環境問題の3つだ。
こうした問題は私達一人一人にとっては、大きすぎる問題のように感じられるかもしれない。
でも私たちの日々の生活に、長期的には大きく関係のある問題であることも確かだ。
では何を考え、どうすればいいのか。
世界にはグローバルアジェンダと言われる、世界規模の課題がたくさんある。
世界規模の課題とは、ズバリ、地球が過密化していることだ。
具体的には貧困問題、人口問題、生態系・環境問題の3つだ。
こうした問題は私達一人一人にとっては、大きすぎる問題のように感じられるかもしれない。
でも私たちの日々の生活に、長期的には大きく関係のある問題であることも確かだ。
では何を考え、どうすればいいのか。
ここのところ貧困国への開発協力や支援について、ブログで色々と考えをまとめている。
今回はなぜ途上国・貧困国に、国家やNGO、個人が関与するのだろうか?、を考える。
動機を理解すれば、目的もわかる。行動も理解できる。
人や組織がなぜそんな行動をとるのか、そのためには行動の背景を知ることだ。
例えば、私個人がそもそもアフリカに関わろうと思った理由。
アフリカなど、貧困国の開発協力に関して、ここのところブログを書いてきた。
実は援助が効果的どうかを議論する以前に、知っておくべきボトルネックがある。
それは、主権国家体制とリベラルな理念という、国際関係において大切な話だ。
前回のブログで、最貧国はそもそも援助や協力が必要なのか、という議論をした。
私たちは貧困国に協力する必要があるのか
そこで、人道的援助というのは受け入れられやすい話だ。
しかし、「開発経済」という議論になるとまた別だ、と論じた。
今回はその続きで、開発協力や援助は必要とされているのか、という話だ。
先週UNICEF東京事務所代表の平林国彦さんの話を聞いてきた。
アフリカや途上国の話がメインで、この問題の根本は無関心・無責任・無行動だと、至極納得のお話だった。
そういえば昔、私もこんな記事を書いた。
私たちの生活は、なぜ「遠い世界の話」と切り離せないのか?