人はいつか死ぬ。
自分が死んだ後、ウェブに残る情報はどうなるのだろうか?
インターネット以前は、データで情報が残りにくかったので、死後ほとんどの情報はなくなっていった。
しかしインターネット以降、自分の情報はネット上に残る。
死後、自分の墓を用意しておくように、こうしたネット上にある自分の情報について、私たちはどんな準備をすべきなのか。
人はいつか死ぬ。
自分が死んだ後、ウェブに残る情報はどうなるのだろうか?
インターネット以前は、データで情報が残りにくかったので、死後ほとんどの情報はなくなっていった。
しかしインターネット以降、自分の情報はネット上に残る。
死後、自分の墓を用意しておくように、こうしたネット上にある自分の情報について、私たちはどんな準備をすべきなのか。
前回の投稿ではサロンについて書いて終わってしまったので、今回はジャーナリストの佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)と、スマートニュースの松浦茂樹さん(@shigekixs)のトークセッションから感じたことについて。
まず印象的だったのが、佐々木さんのメディアはプロセスになってきているという話。
最近時計が欲しくて、色々な時計を見ているのだが、今バーゼルワールド2015という世界の時計の祭典がスイスで開かれている。
スイスといえば、言わずもがな、高級ラグジュアリー時計の聖地である。
ロレックスやオメガといった高級腕時計は、スイスの職人が手間暇と技術をかけて、1個1個作っているイメージが強い。
一方つい先日、アップルがアップルウォッチで、時計業界に参入を宣言した。
これに対して、こうした高級腕時計ブランドはどう反応したのだろうか。
ブログと、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアとの違いは何だろうか?
この記事にわかりやすく書いてあった。
気軽に短文を投稿したい人はTwitter、友だちとつながりたい人はFacebook、まとまった情報をアーカイブとして残したい人はブログ
その通りだと思う。
ソーシャルメディアなど、インターネット上にある情報が失われるリスク。
そのリスクとどう向き合うか。
前回の記事で、基本的な方針として、全ての卵を1つのかごに盛るな!、と言った。
フェイスブックリスクとどう向き合うか
では情報資産を分散するという方針以外に、できることは何か。
バックアップも1つの有効な手段だろう。
前の記事で、フェイスブックが勝手に私のアカウントを削除・停止した行為と、名前を確認せずに強制変更させる差別的方針について、あるがままのことを書いた。
フェイスブックがこうして横暴するリスクは恐ろしい。
だが多くの知人友人が使っている今現在、すぐにフェイスブックをやめるというのも、現実的な選択ではない。
では顧客対応がゼロで、いつ削除してくるかわからないフェイスブックとどう付き合っていくか?
このニュースを見ると、アメリカではフェイスブックが送金など、お金を扱えるような取り組みを始めるようだ。
米フェイスブック、友人へ送金可能に
だが、個人情報を勝手に全て削除したり、顧客の問題に対応しない企業に、お金のやりとりや、クレジットカードなどの情報を取り扱えるだろうか。
facebookにクレジットカードやお金の情報・やりとりを任せることは、非常に危険だ。
前回、フェイスブックが突然私のアカウントを抹消した事件について書いた。
勝手にアカウントを削除されて、連絡先窓口もなく、バグ画面だけを表示され続けて5日。
私のfacebookアカウントが、突然戻ってきた。
友人アカウントから見て、私の投稿した写真もメッセージも、全ての痕跡がきれいに消されていたが、何もなかったかのように復活したのだ。
もちろんフェイスブックから迷惑かけました、の連絡一つもないのは別にして、私のアカウント削除された理由がどうやら非常に差別的なので、ここで紹介したい。
21世紀に入り、ソーシャルメディアという言葉がすっかり定着した。
最近では名刺代わりに、フェイスブックアカウント交換ということもある。
事実、友人知人ではもはやフェイスブックの連絡先しか知らない人も多い。
そういった状況で、フェイスブックアカウントが、何の通知もなしにいきなり消されたらどうだろうか?
つい先週、私自身にそんな事件に起こった。
突然ログインできなくなり、友人に調べてもらったら、こんな状況だった。
フェイスブックやツイッターなど、ソーシャルメディア全盛の現在。
しかしこうしたサービスも、実はここ10年以内の新しいものだ。
現実的な問題として、こうしたアカウントは、当事者が亡くなったらどうなるのだろうか?