自由に生きること

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2016年、明けましておめでとうございます。

年初らしく、人生を考えるタイミングとして、思いを巡らせてみる。

sunrise

人生にとって、大切なことは何だろうか。

何を大切な価値観として、生きるのか。

 

年初ならではのビッグクエスチョンだが、あなたはこの質問にどう答えるだろうか。

 

家族、キャリア、人生。

幸せの形も色々だし、人生に目的があるならば、その目的も千差万別だ。

 

私にとって幸せな人生で、大切なことは、「自由」だ。

「自由」だからこそ、自分らしく 、幸せに生きられる。

 

考えてみると、この時代に日本という国に生まれた私たちはとても幸せだ。

平和な時代。自由な時代。そして世界と比べると今も豊かな日本。

今の日本にいると、こうしたことが当然のように思えてくるから不思議だ。

でもそんな時代、そんな国にいることは、歴史的・世界的には奇跡的なことだ。

(この現在の日本の3つの幸せについては、ここに以前書いた。 3つの幸せを噛みしめろ!

 

ではそんな自由な日本で、「自由に生きる」とはどういうことだろうか。

例えば、いつの間にかやりたくもない仕事で落ち着いている人で、自らを社畜と呼ぶ人がいる。

これは奴隷のことだ。

これでは自由に生きているとは言えないし、結果として幸せでない。

その一方で同じ仕事をやっていても、それが好きならば、自分で選んだ人生を生きていると言えるだろう。

そう、自由に生きるとは、自分らしく自分の人生を歩むことだ。

 

自由とは、なんでもただ好き勝手にやることとは、違う。

ただひたすら自由を追い求めていけば、それは「ルールなし」の世界だ。

歴史的に「ルールなし」の世界では、秩序がなく混沌となり、効率が悪過ぎるので、法律や国家ができた。

私がいくら自由でいることが大切だと言っても、凶悪犯罪者も何でも自由になればいい、ということにはならないだろう。

 

そう、「自由」でいるためには、努力が必要なのだ。

無秩序と自由は違うのだ。

 

奴隷にならないために、自由であるために努力する。

なぜなら自由でいるためには、責任が発生し続けるからだ。

責任がなければ、自由な世界とは、凶悪犯罪者が跋扈する世界だ。

自由でいるために、責任を負う。信頼を獲得する。

それが、自由への切符だ。

 

たくさんの信頼を獲得すればする程、自由も大きくなる。

大きな自由を得るためには、その努力をし続ける必要がある。

 

私の大好きなX Japanの「Born to be free」の歌詞に、こんな表現がある。

Where your heart be free to fly
Born to be free
Nobody can steal our life away

正にここにあるように、「私たちは自由を勝ち取るために生まれ、誰も自分の人生を奪えない」のだ。

自由を勝ち取るため、幸せになるためには、努力し続ける必要がある。

 

色々考えて、ごく当然な結論に到った2016年初頭。

自由を勝ち取るため、Born to be freeであるために、どんどん精進したい。

 

アリヴェデルチッ!